博士論文要約(井上奈良彦)

 

すでに執筆から10年以上が経過しているので、その後日本のディベート界に生じた種々の変化は反映されていないことを注記しておく。
また、ここに紹介する日本の状況は、アメリカの高校生の政策ディベート界にも多くの類似する現象が見られ、NDTという「中央文化」が周辺(?)へ伝播するという観点からも興味深い。(参照: Fine, Gary Alan. 2001. Gifted Tongues: High School Debate and Adolescent Culture (Princeton Studies in Cultural Sociology)  Princeton Univ Press. ISBN:069107450X)

『日本におけるディベートの方法−英語研究会( ESS)におけるアカデミック・ディベート』

Ways of Debating in Japan: Academic Debate in English Speaking Societies. Ph.D. Dissertation, University of Hawai'i at Manoa, Department of Linguistics. UMI Order Number 9519451. (December, 1994)

 

この論文は、日本人学生の英語ディベートをコミュニケーションの民族誌において用いられる言語学的方法論によって分析したものである。著者の主張は、日本における英語ディベートが話し言葉と書き言葉両方を用いた言語コミュニケーションの一形態であり、ディベート界と呼ばれる目的志向の言語共同体の中で行なわれ、その成員がディベートにおける独特の話し方を共有している、というものである。そこでのディベートの方法は英米のアカデミック・ディベートを取り入れ日本に適応させたものである。

 

論文の資料は多岐にわたり、著者が指導者としてディベート活動にかかわってきた中で集めたものである。そこには、ビデオ録画したディベートとそれを文字化したもの、スピーチの原稿、学生が作成したディベートの手引き書、フロー・シートと呼ばれる試合中のディベーター及び審査員のメモ、などに加え、ディベート界という共同体の部内者である著者の知識も含まれる。

 

1 章 序論

 

この章では全体の主題を紹介し、研究の動機、ディベートの概略、論文の構成を記述している。

 

1 節では、上記の論文全体の主張をさらに次の6 点に分けて詳述している。

 

1 )ディベートは口頭で行なわれる部分が不可欠であるが、原稿やフロー・シートと呼ばれる試合中のメモという書き言葉なしには、ディベートという言語活動は存在し得ない。

 

2 )学生が行っているディベートを理解するにはディベート界という共同体の文脈が重要である。

 

3 )ディベート界という共同体は地域社会を中心とする一般的な言語共同体とは異なり、コミュニケーションの方法を共有する学会などのような目的指向型の共同体である。ここでのコミュニケーションの特徴は、議論や英語の学習といった目的よりもゲームにおける勝利という直接的な目的によって規定されている部分が大きい。

 

4 )ディベート界の成員はディベートにおける独特の話し方の能力を習得するのであり、重要な言語的特長としては、議論に用いられる発話行為や議論の談話構造がある。また、英語ディベートにおける英語は、建前は別として実際上はそれ自体が学習の目的ではなくディベートを行なう手段として用いられていることが重要な点である。

 

5 )ディベートの方法はアメリカの教育ディベートを取り入れたものだが、それは日本の伝統的なレトリックとも異なり、ディベート界という共同体の目的に合うように独自に発展したものである。

 

6 )ディベートの分析は言語や言語学の本質の理解に貢献する点がある。たとえば、話し言葉中心の言語観への挑戦、話のメタ言語的範疇、特にに日本語の語彙体系における「ディベート」の位置付け、議論の普遍的な談話構造の可能性、などである。

 

2 節では研究の動機を3 点に分けている。まず、著者が自分自身のディベート活動や言語学の研究からどのようにこの研究にたどり着いたかという個人的動機を述べている。次に、この研究が言語学特に民族言語学や民族誌的研究に貢献できるかという学問的動機を説明している。ディベートはその公開性から網羅的にデータを収集することが比較的容易であるため、実際の言語使用の研究に適している。最後にこの分析が、ディベートの指導や競技ディベートの改善、さらにはディベートをディベート界の外へ紹介するといったことにいかに貢献できるかという教育的動機付けを述べている。

 

3 節では、この論文で扱っている特定の種類のディベートの概略を説明している。トーナメントではシーズンを通して同一の政策論題についての試合が多数行なわれる。参加チームは試合毎に肯定側と否定側を入れ替えて擁護し、審査員が判定を下す。1試合には、各チーム 2回の立論と 2回の反駁という時間が決まったスピーチがあり、各立論の後には相手チームからの反対尋問がある。肯定側第 1立論は事前に完全な原稿を準備し、その他のスピーチはブリーフと呼ばれる準備書面を組み合わせてその場で準備する。試合中は出場者も審査員もフロー・シート呼ばれる形式で議論を記録しスピーチの準備や判定の基としている。

 

4 節は、論文の構成を紹介している。この第1 章の後、第2 章は研究方法と先行研究の概観、第3 章はディベートの試合とトーナメントの概略記述、第 4章は西欧特に英米と日本のディベートの伝統および日本における西欧流のディベートの導入の歴史、第 5章はディベート界と呼ばれる共同体の記述、第 6章は証明・攻撃・防御という発話行為の分析、第 7章は議論の談話構造、第 8章はゲームにおける勝敗の認識方法、第 9章は結論としてディベートにおける複数の目的の葛藤を論じた後、コミュニケーションの要素をまとめ、さらにこの論文から得られる言語学や教育への貢献をまとめている。

 

2 章 研究の背景

 

本章は、研究方法と先行研究の概観している。

 

2 節において、このディベートの研究が言語学の範疇に入ることを正当化している。まず、 Dell Hymes Fillmoreの言語学の定義を援用し、言語が作り出す様式の一つであるディベートは言語学で取り扱うべき対象であることを論じている。次に、ディベートは言語がその他の社会的要素との関係の中で用いられている現象であり、特に社会言語学の対象であることを強調している。

 

3 節においては、ディベートの分析にはことばの民族誌(特にさらに広義のコミュニケーションの民族誌)が有用な研究方法であることを述べている。特定の集団内で観察できるコミュニケーションの様式を適切に記述し解釈するには、その集団の内部者の知識というものが必要になる。民族誌的手法によって実際の言語使用を対象とする研究方法は、理想化された抽象的な構成概念を扱うチョムスキーのような言語研究と明らかな対比をなしている。

 

4 節においては、議論とディベートに関する先行研究を種々の分野において取り上げ、代表的な研究を紹介している。対象としている分野は、哲学とレトリック、スピーチ・コミュニケーションと議論学、談話分析、社会言語学、会話分析、子供の議論、文化人類学、法律関係の談話研究である。

 

5 節においては、日本のアカデミック・ディベートに関する研究を紹介している。研究論文は議論法の文化比較(特に日米比較)が多い。また、ディベート指導者が教育目的で書いた記事が『ディベート・フォーラム』という雑誌に多数あることも指摘している。

 

6 節では、研究に用いた資料を、著者の共同体部内者としての内省、参与観察、録音・録画と文字化資料、ディベート参加者の準備書面・メモ・手引書など書かれた資料、に分けて説明している。

 

3 章 ディベート大会の概要

 

この章は、典型的なディベート大会の中の1 試合を想定して記述し、必要に応じて変異に触れている。

 

2 節では、大会が始まるまでに、参加者が周到な準備を行う様子を記述している。当該シーズンの論題が発表されると、論題を分析して肯定側の立件内容を組み立てるためにメンバーで話し合ったり図書館などで資料調査を行う。分析が進むとスピーチの原稿やブリーフと呼ばれる賛否両方のいろいろな議論を想定した準備書面を用意する。スピーチやブリーフはアウトラインとそれぞれの論点を擁護する引用資料で出来上がっている。準備が進むと練習試合が、部内・部外で行われる。

 

3 節では、大会会場への移動と登録について述べている。チームは大量の資料を携えて週末に行われる試合会場に行く。遠方のチームは宿泊することになるが、タイプライターなどを持ち込んで試合直前までブリーフ等を作っているチームもある。当日、会場では受付が行われ、各審査員の「審査哲学」と呼ばれる審査基準を述べた文書などが配布される。

 

4 節では、開会式の模様を記述している。開催団体代表(通常は学生)の挨拶が行われたり、予選の対戦表が配られたりする。参加チームの規模や儀式的要素軽重の変異に触れている。

 

5 節では、予選第1 試合を記述している。試合会場となる教室の机の配置や参加者の着席位置を図示している。試合開始に先立って、審査員が入室し、参加者の自己紹介などがある。司会者が試合開始を宣言し肯定側第 1立論の話者が呼ばれる。話者は原稿を早口で読み上げ、審査員や相手チームのメンバーはそれをフロー・シートと呼ばれる形式でメモにとる。タイム・キーパーが 1分ごとに残り時間を表示し、制限時間になると机をたたくなどして知らせる。話者は原稿の途中でも読むのを止める。読み終わると原稿を否定側のチームに渡すことがある。スピーチの後、反対尋問が行われ、否定側の第 2話者が肯定側の第 1話者に尋問をする。否定側の第 2話者はその間に次のスピーチの準備をしている。以下、試合中の準備時間、肯定側第 1立論、双方の第 2立論、双方の反駁スピーチ、試合後の相手のルール違反申し立て、審査員の口頭での講評について記述している。

 

6 節では試合後に審査員が審査員室で判定を出す様子、第 7節では予選後の準々決勝進出チームの発表、第 8節では 2日目の決勝トーナメントの様子、をそれぞれ記述している。

 

4 章 ディベート伝統

(本章は、口頭発表を大幅に加筆修正したもので、改訂版を論文 として刊行している。)

 

この章は英語のdebate という概念と対応する日本語の概念(討論、ディベートなど)を比較し、日本でそれらがどのように扱われてきたかを論じている。これは、日本の学生英語ディベートが置かれている歴史的文化的文脈の一つの観点を提示するものである。西欧と日本におけるレトリックの伝統に関する研究を概観すると、日本では西欧社会の伝統に対応する論理的議論法の訓練の伝統を欠いているようである。英米流のディベートを日本社会へ導入しようという試みは何度かあったが、英語クラブでのディベート以外成功していない。 1980年代半ばから新たなディベートの流行がメディアなどで見られるが、これが定着するかどうかは定かでない。

 

2 節では、まず、英米におけるdebate の意味、単語の辞書的定義、アメリカのディベート教科書での定義を参考にまとめている。次に、実社会の意思決定としてのディベートと対比して訓練として行われるアカデミック・ディベートの特質をまとめ、その価値を知的訓練、コミュニケーション訓練、望ましい態度の養成、の 3点に要約している。次いでアカデミックディベートの歴史を、古代ギリシャのプロタゴラスから始め、特に 1800年代以降の英米の大学まで概観している。

 

3 節では、日本における討論の伝統を、宮廷などの論議と呼ばれるディベート形式の行事、問注所での対決や対問賭呼ばれたような裁判を紹介しつつ、少くとも西洋の規範的観点に見られるような論理的議論法を訓練しようという強い社会的要請には欠けていたことを指摘している。さらに、西洋式のディベートの導入について、 16世紀のキリスト教伝来時のラテン語の論争訓練、明治の福沢らの三田演説館の「会議弁」、「文学社会」と呼ばれた勉強会におけるディベートなどに触れている。次いで、第 2次大戦直後の民主主義教育の中で登場し短命に終わった「朝日討論会」や、その後の国語教育の中での討論教育(特に日本話しコトバ教育研究会による実践)とその問題点について論じている。

 

4 節では、カタカナの「ディベート」という語がそれまでの「討論」という語と対比されて日本語の語彙体系の中に組み込まれたかと、それが表す狭義のディベートが従来の討論との違いを強調して用いられるようになった点を指摘している。まず、英語教育分野におけるディベート、次いでマス・メディアにおける「ディベート」という語の使用、 1980年代からの新たなディベート関連のイベントの登場、学校の授業での討論やディベートについて論じ、最後に調査対象となった 1992年時点では「ディベート」という語はまだ一般に十分に定着していなかったという暫定的結論を出している。

 

5 章 ディベート界

(この章の一部の内容は刊行論文 と重複する。)

 

本章はディベートにおける言語使用の特徴を理解するには、ディベートを行っている人・規範を作っている人・学習途上にある人を知る必要がある。ここで扱っているディベート界というのは非常に狭い社会であり、そこでのコミュニケーションの特徴は特殊用語や早口などを含めその社会の中でのみ通用する規範を作り出している。

 

2 節では、社会言語学における言語共同体(speech community)と談話共同体( discourse community )という概念を取り上げ、本論文では談話共同体という概念を区別せず、言語共同体という概念の中で変異要素を組み込みつつコミュニケーションの共有規則と解釈に焦点を当てることを主張している。

 

3 節では、英語でディベートが行われる課外活動英語クラブ( English Speaking Society--ESS )の組織と内部のコミュニケーションの特徴に注目して詳細に記述・分析している。

 

4 節では、主としてESS のディベーたーとその卒業生を中心として構成されている日本のディベート界について、まず、 ESSや連盟や指導者の組織に分析を加えている。全日本英語討論協会を中心に 1980年代にアメリカの特定のスタイルのディベートを導入した「革命」の再検討、ディベートを扱う団体が「学会」に相当するのかどうかの分析、などを行っている。次いで、ディベーター・コーチ・ジャッジなどの参加者について論じ、試合における選手・審査員・司会の三者のコミュニケーションの規範上の関係を分析している。たとえば、選手は審査員に理解してもらえないと試合に勝てないが、早口や複雑な議論戦術を審査員が理解できない場合、自分が無能であると思われたくないという動機が働くことによって審査員は選手を咎めないかもしれない。司会は試合開始などの儀礼的権限を持っているが、しばしばディベートに不案内な学生が務めているため実際上の地位は低く見られている。

 

5 節では、ディベート活動を通しての英語と日本語の使用、その切り替え(コード交代)がコミュニケーション上の出来事の区切りの標識として機能している点などに分析を加えている。つまり、スピーチや反対尋問などの「公式」活動はすべて英語で行われるが、試合中のチーム内の相談など「非公式」活動は日本語が用いられる。公式活動中でも日本語が挿入される時は、公式活動から非公式活動への一時的転換のような現象が起きる。

 

6 節では、ディベートにおける特徴的な話し方が、どのような規範意識によって生じ、また、誰がその規範を作り上げているかについて分析している。現役学生であるディベーターは上級生や卒業生を中心とするジャッジに審査されるのだが、規範は現役学生が作っているという逆説的な関係は、ディベート界の構造的・歴史的事情に影響されている。たとえば、大会は現役学生が運営するため、ジャッジの採用は学生が行い、自分たちが審査してほしいジャッジを招待するという構造がある。歴史的には、スピーチの印象評価が強かったのを改め議論の客観的評価を追及した結果、試合中に提出された議論の質に対するジャッジの極端な不介入主義的評価方法が台頭した。

 

6 章 証明、攻撃、防御

(本章は修正の上、論文として刊行している。)

 

ディベートにおいては3 つの重要な行為がある。ディベーターは主張を「証明」しようとし、相手はそれを「攻撃」し、それぞれ自分たちの主張を「防御」しようとする。この章では、これらの行為が日本のディベート界において特別な使われ方をしていて、それはアメリカのディベートを適応させたものであり、ゲームとしてのディベートで勝利という参加者の直接目的に関係していることを論じている。

 

2 節では、ディベーターにとっての証明がしばしばエビデンス(証拠資料)の引用という行為に単純化されていること、エビデンスとは出版物に限定されていること、その試合における重要性のために和文英訳などの過程における不正行為などを生んでいることを論じている。

 

3 節では、相手の議論に対する攻撃を、相手の証明に対する疑問の提出や証拠に対する攻撃と、反証の提示に分けて考察している。ここでは証明責任・反論責任・反証責任の所在や、ジャッジの評価基準の問題、特にタブラ・ラサと呼ばれる不介入主義の審査哲学の問題を論じている。

 

4 節では、反論された議論に対する防御として、「引っ張り」( pulling)と呼ばれる既出の議論の繰り返しと、「伸ばし」( extending)と呼ばれる既出の議論に新しい証拠や観点の導入し発展させる行為について分析している。また、 extendという動詞がディベートの中で使われる特有の統語型式について分析している。

 

5 節では、「新出議論」という概念についての共同体内での解釈を問題にしている。規範的には、反駁のスピーチで大きく論点を変える「新出議論」は禁止されているが、既出の議論を伸ばし発展させることは奨励されている。ここに日米とも学生の誤解が生じ、極端な場合は、反駁のスピーチでは新しい議論や証拠資料は全く使えないという解釈が生じている。これと上記タブラ・ラサの極端な審査方法により生じる、議論という弾丸を打ち合うビデオ・ゲーム的ディベートの問題点を指摘している。

 

7 章 議論の構造

 

本章は、議論の談話構造を、証明という行為が作り出す一つのスピーチの中の「縦の構造」と、反論の応酬が作り出す複数のスピーチに跨る「横の構造」、に大きく分けて分析している。この構造は、先行の研究で指摘されている日常の議論の 2種類の構造と対応するところがある。

 

2 節では、縦の構造について、議論の構造を示す「ロード・マップ」と「ナンバリング」と呼ばれる談話標識、議論の時系列関係・並列構造・機能的推論関係・演繹的推論関係などについて、スピーチと参加者のメモなどの資料を用いて分析し、文化特有の論理構造の問題も検討している。

 

3 節では、縦の構造について、まず、反論の応酬が一つのスピーチの中にどう現れるかを、元の議論の紹介−相手の議論の紹介−反論、というような表現形式元に分析している。次いで、複数のスピーチに跨る構造を、文字化資料とフロー・シートと呼ばれるメモ用紙から再構築して分析している。

 

4 節では、議論の最も特徴的な単位として、反論の単位( refutation unit )と呼ばれるものについて、日米のディベート共同体の中でどのような規範が共有されているのかを、指導手引書や教科書を元に分析している。

 

これら特有の談話構造とその談話標識は、ディベートの話し方分析の中心であり、書きことばと話しことばの関係など言語学にたいする示唆も大きい。

 

8 章 勝敗は異なる参加者によってどう認識されるのか

 

ことばを使う出来事(speech event )の目的や結果は複雑な現象である。ディベートにおいて、ディベーターは究極の目的として議論法や英語の学習があったとしても、試合の中での直接の目的は勝つことである。ジャッジの立場からは、大きな目的は学生に議論法の教育をすることであったとしても、試合での当面の目的は判定を下すことである。一方、ディベートに限らずあらゆるコミュニケーションにおいて、さまざまな要因からメッセージの送り手の意図が受け手に同じように解釈されるということはありえない。競技としてのディベートの試合において特徴的なのは、肯定・否定の両チームは最後まで自分たちが勝っていると主張するので最終的な勝敗について参加者の解釈が一致するということはありえない点である。本章では、この勝つというディベートの目的が他の要素とどのような相互関係にあるのかを、 1試合の中の論題充当性( topicality)と呼ばれる特定の争点に限って分析する。

 

2 節では、論題充当性がどういう争点か、教科書的な解釈と実際の学生の試合での使われ方の両方から論じている。もともと、肯定側が政策論題を具体化した計画案を提出するとき、その計画案が論題から逸脱している場合に否定側が提出する議論であるが、実際の試合では、問題のない肯定側の計画案に対しても否定側が強引な議論を提出することも多い。

 

3 節では、分析の対象とした姫山杯英語討論大会の決勝戦(試合全体の文字化資料を付録 IIに添付)の背景説明を行なっている。

 

4 節では、文字化資料に基づいて議論の展開を記述している。論題は、「日本政府は生医学研究とその医療行為への応用の一方もしくは両方を統制する新しい法律を一つ以上制定すべきである」という 1991年秋から 1992年春の両シーズンで用いられた統一論題である。肯定側は患者にガンの告知をすることを法制化する計画案を提出した。否定側は法律辞書を用いて「統制する( govern)」という語を 'control'という言い換えによって定義し、肯定側の計画案はそれを満たしていないと主張した。肯定側第 2立論では、一旦一般的な論題充当性防御の準備書面を読み出したが、途中でその議論を破棄し、自分たちの提案する法律は controlするものである、という反論を提示した。この争点は次の否定側第 2立論を除いてすべてのスピーチで扱われた。

 

5 節では、双方の第2 反駁つまり最後のスピーチを基に、ディベーターの解釈を推定して分析を加えている。

 

6 節では、ジャッジのフロー・シート(試合中のメモ)、バロット(判定票)、ジャッジング・フィロソフィー(審査哲学)の相互関係を分析している。フローシート上に残されたメモや審査哲学として公表している論題充当性に対する立場、さらに論題充当性に関する判定票に書き込まれたコメントは 5人のジャッジの間で相違が見られる。

 

7 節では、判定結果に分析を加えている。3 人のジャッジが、論題充当性について否定側が勝ったと解釈していて、そのうち 2人は、この争点が試合を決めた( voting issue )と書いている。残り2 人のジャッジは、否定側はこの争点を勝ち取っていないと考えていた。彼らは否定側が論題充当性の議論を十分に証明できなかったと判定したことが、判定理由からうかがえる。

 

8 節では、この分析に基づき、ディベートにおけるコミュニケーションの諸要素の相互関係に触れ、その複雑さを指摘している。

 

9 章 結論

 

この章では、全体のまとめと、論文から得られる示唆などを述べている。

 

2 節では、ディベートにおける目的の問題をまとめている。今回分析したディベートは、一見コミュニケーション教育や議論教育という公称される目的に惑わされるが、参加者にとっては知的ゲームと考えられていると結論できる。学生はディベートというゲームの世界の中で日常の制約を離れて自分自身が自由にできる知的活動に興味を引かれている。このことによって、一見荒唐無稽と思われる議論の応酬や議論の評価についてのジャッジの介入をできるだけ排除しよう傾向を説明することができる。さらに、議論教育・英語コミュニケーション・友人作りといった、ディベートのその他の目的に触れ、異なる目的の間の競合がもたらす問題点を指摘している。前述したビデオ・ゲーム的ディベートは客観的議論重視の結果の一つであるが、それは英語コミュニケーション能力の向上や議論法の教育といった目的を阻害し、英語クラブという文脈の中では新入生のディベート活動への勧誘を妨げることになっている。

 

3 節では、Hymes の提唱するコミュニケーションの要素に注目して、ディベートにおいてそれらの要素がどのように相関しているのかをまとめた。その要素には、場面、参加者、目的、行為連鎖、調子、手段、規範、ジャンル、がある。ディベートにおける話し方は特有の発話行為や談話構造によって成り立っているが、それは両チームが相反する主張をし審査員が判定を下すというコミュニケーションの場である。その話し方はディベート界の成員が共有するやり取りや解釈の規範によって決まってくる。このコミュニケーションの体系は独立したものではなく、 ESSやアメリカのディベート共同体から影響を受けており、さらに、ディベートを始める前に習得している日本語や英語にも影響されている。

 

4 節では、この論文の言語学に対する示唆を述べている。まず、言語学とは何かという問題について、明らかに言語事象であるディベートの記述・分析は、言語学が実際の言語使用を扱わなければならないという立場に組するものである。さらに、ディベートは言語の直線性(発話の時間順序の制約)や話し言葉の書き言葉に対する優位性など、ある種の言語学で想定されていることへの挑戦である。また、本論分の分析が「ディベート」や「討論」など話し言葉の範疇の研究や談話構造の研究に貢献することを示している。

 

5 節では、ディベート教育へのいくつかの示唆を述べている。

 

6 節では、この論文の限界と今後の研究への提案を行なっている。

 

付録I  日本におけるディベート論題一覧

1950 年から1994 年までの英語ディベート大会で使用された論題の一覧)

 

付録II  第8 回姫山杯英語討論大会決勝戦文字化資料